【FILM REVIEW】『原爆の子』原爆病が奪う日常

『原爆の子』

原爆病が奪う日常

作品情報

『原爆の子』(日本/1952年/100分)

監督:新藤兼人
脚本:新藤兼人
出演:乙羽信子、滝沢修、宇野重吉、山内明、清水将夫、細川ちか子、北林谷栄

配給:北星

4.2

あらすじ

戦後復興が進む1950年の広島。瀬戸内海の島で教師をしている孝子は原爆から生き残ったかつての教え子を訪問するため、広島に向かう。盲目の乞食と出会い、彼が自分の親の会社で働いていた岩吉だと気が付く。原爆で盲目になったため、働けない岩吉は唯一の親類である7歳の孫の太郎を孤児収容所に預けていた。孝子は太郎を島に連れていき、岩吉も一緒に来るよう提案するが、岩吉は提案を断る。

かつての同僚である森川の家に泊まる孝子は、森川が原爆症で子どもが望めない身体だと知る。しかし、森川が前向きに生きようとしていることに感心する。翌日、孝子は教え子の一人、三平に会いに行く。ちょうどその頃、三平の父親は原爆症が悪化して急死してしまう。孝子は教会で暮らす敏子に会いに行く。敏子は両親を原爆で失い、自身も原爆症で寝たきりの状態になっていた。敏子はいつ死ぬかわからない状態の中、病床から平和の祈りを続けていた。
孝子は最後に教え子の平太に会いに行く。平太は両親を亡くし、兄姉たちと暮らしていた。平太の姉は原爆で足に障害を負ったが、戦争から帰還した恋人と結婚することになっていた。孝子は平太と共に姉の門出を祝う。
孝子は島へ帰る前日に岩吉を尋ね、再度、島へ太郎を連れていくことを提案するが、岩吉の考えは変わらなかった。しかし、2人の話を聞いていた隣人の老婆から、「お互い先は長くない」と諭された岩吉は考えを変える。岩吉は孝子と一緒に島へ行くよう太郎に伝えるが、太郎は「岩吉と一緒でなければ行かない」と泣きついてしまう。その晩、岩吉は太郎に奮発した魚を食べさせる。その後、孝子に手紙を届けるよう太郎を使いに出す。太郎が出かけた後、岩吉は原爆と戦争を恨みながら自宅に火をつける。近所の老婆に助けられた岩吉は、太郎に別れを告げ、自身の身体を病院に寄付するよう言い残し、死んでしまう。
翌朝、孝子は太郎と共に帰りの船を待つ。見送りに来た森川に別れを告げる際、飛行機の音が聞こえ、三人は空を見上げる。孝子と太郎は帰りの船から広島を見つめる。

おすすめポイント

戦後、GHQ撤退後に公開された本作は、それまで検閲の対象になっていた原爆描写に挑んだ作品となった。原爆が直接の死因となった人々の描写もあるが、本作では原爆症に苦しむ生存者たちに焦点を当てている。実際に戦後復興が進む広島の街を舞台にしており、建設中の平和資料館など、記録映像としての側面もある。

物語は瀬戸内の島で暮らす教師の孝子の視点を通して進んでいく。原爆で両親や家を亡くした孝子はかつての教え子達と再会し、原爆は終戦後も生存者の命を奪い続けている現実と向き合うことになる。掘っ立て小屋で暮らす三平は靴磨きで日銭を稼ぎ、母親は平和資料館の土木作業員として働いている。病床の父親が亡くなったことで、この家族は大黒柱を失い、苦しい生活が続くことが示唆される。

辛い現実の中に小さな希望も存在する。原爆で足に障がいを負った平太の姉の結婚は孝子に幸せな涙を流させた。復員兵については、『ゴジラ-1.0』(2023)でも描かれていたように生き残ってしまった罪悪感や、周囲からのプレッシャーなど、辛い現実もあるはずだ。ただ、戦後間もない1952年に、幸せな道を歩む復員兵が居る描写を入れたことで、救われた人々もいたのではないだろうか。

岩吉は劇中、最も悲惨な運命を辿った人物の一人だ。原爆で視力を奪われ、働くことが出来ないが、唯一生き残った孫の太郎を育てる責任もある。乞食として他人からの恵がなければ生きていけない岩吉の精神的負担は計り知れない。戦争が終わり、岩吉の怒りの捌け口は無くなってしまった。八方塞がりの状態で、太郎を引き取るという提案をしてくれた孝子への感謝が溢れるが、太郎と離れることでの孤独感や、太郎を育てる役目を果たせなかった負い目が岩吉を自死へと追い込んでしまう。戦争や原爆は貧困も生み出し、様々な形で死をもたらす存在なのだということを思い知らされる。

岩吉と太郎がご飯を食べるシーンは映画史上、最も泣ける食卓シーンかもしれない。

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