今の自分を捨てて、新しい自分になりたい
作品情報
『ある男』(日本/2022年/121分)
監督:石川慶
脚本:向井康介
出演:妻夫木聡、安藤サクラ、窪田正孝、清野菜名、眞島秀和、小籔千豊、仲野太賀、真木よう子、柄本明、きたろう
配給:松竹
3.9
あらすじ
夫と離婚し、母と息子と暮らす里枝は、店の常連客で絵描きが趣味の谷口大祐という男と出会う。2人は結婚し、娘も生まれたが、不慮の事故で谷口が亡くなってしまう。葬式に訪れた谷口の兄は、飾られた遺影を見て「これは大祐ではない」と告げる。「自分と過ごした男は一体誰なのか」、里枝は弁護士の城戸に調査を依頼する。
城戸は、谷口の兄を頼り、本物の谷口大祐の元恋人、美涼と接触する。本物の谷口は、消息不明のため、調査は行き詰まってしまう。しかし、死刑囚の絵画展でXが描いた絵と似た絵を見つけた城戸は、Xが強盗殺人で死刑囚となった原の息子だと知る。
原はボクサーとして名を挙げていた。しかし、原は有名になることは望まず、自分がボクシングをしているのは父の痕跡を自分から削り落とすためだと、ジムの会長に語っていた。居場所を失った原は自殺を試みるが失敗し、行方がわからなくなっていた。
Xの身元は明らかになったが、小見浦から知らされた曽根崎については謎のままだった。だが、美涼が開設した谷口のなりすましアカウントに曽根崎という男から連絡が入る。谷口は曽根崎の戸籍を手に入れ、原に渡し、その後さらに戸籍を交換し、原は谷口に、谷口は曽根崎に名前を変えていた。
ことの顛末が明るみになり、里枝とその家族は谷口の正体が原であったことを知り、父としての彼が居た事実を大切にした。調査中、家族との仲が険悪になっていた城戸だったが、調査が終わり、円満な家庭に戻っていた。しかし、妻の浮気を知ってしまった城戸は、バーであった初対面の男性に、谷口大祐としての人生を語り出す。男性から名前を聞かれた城戸は、「自分は…」と名前を告げようとする。
おすすめポイント
石川敬×妻夫木聡
『愚行録』(2017)でタッグを組んだ監督:石川慶、主演:妻夫木聡で望むミステリー作品。結婚した男が、実は身元不詳の人物だったことがわかり、彼が一体何者なのかを調査していく。
立ち上がり20分で、谷口と里枝が出会い家族になる幸福感が描かれている。物語全体を支える彼らの愛の物語をわずか20分で完璧に描いており、これだけでも子供の死を受け入れ、再スタートしていく家族の物語として完結している。
谷口と名乗る男が死んでしまった時点で、真相がわかったところで、彼が歩んだ人生は変わらないし、どう展開するのか。と思ったが、ラストにはハッとさせられる描写が待っている。
在日外国人に対して偏見を持つ義父母の胸糞悪い会話を静かに耐えながら聞く城戸は、在日朝鮮人3世だが、自分は日本人だというアイデンティティの問題を抱えている。自分は何者なのかを肩書きや属性に当てはめて考えることが全てではないとこの映画は示唆している。
肩書き<人生 ※ネタバレ
生きていくうえで、肩書きや経歴はその人物を理解する基礎になる。わかりやすい情報で作られていく人物像は、時に誤った印象を与える。原は死刑囚の息子であるというレッテルに苦しんでおり、”自分の人生”ではなく、”死刑囚の息子としての人生”を歩んでしまう。
思い描いた自分を見出せなくなった時、ふと「あの人のような人生を歩んでみたい」と思った経験は誰にでもあるのではないだろうか。原の場合は死刑囚の息子というアイデンティティが大き過ぎて、新しい人生を考えることすら出来ず、一度命を断とうとしている。一度罪を犯したら、二度と立ち上がることが出来ないように制裁を加えようとする人々によって、罪を犯していない原は死に追い込まれる。
救いのない状況から逃げ出すことの出来ない原を救ったのは里枝たち家族の存在であり、繋がりだった。どんな肩書きや経歴であったとしても、それを越えて、ただそこに存在する他者と向き合って生きていければどれだけの人が救われるだろう。そんな生き方が出来る人は多くはないかもしれない。しかし、そうした生き方を実践出来る人間になりたいと強く思わせる作品だ。
コメント