~知っておきたい映画監督②~ “魂の救済者” アレハンドロ・ホドロフスキー

2022年9月13日、映画界の一時代を築いた巨匠ジャン=リュック・ゴダールが91歳で亡くなった。このニュースには大きな衝撃を受けたと同時に、未だ現役で活躍する御年90歳越えの巨匠たちが頭をよぎった。

『男はつらいよ』シリーズで知られる日本映画界の生きる伝説・山田洋二(91歳)。

言わずと知れた名俳優で名監督のクリント・イーストウッド(92歳)。

ドキュメンタリー映画の巨匠フレデリック・ワイズマン(92歳)

そして、「サイコマジック」の考案者であり、カルトでスピリチュアルな巨匠アレハンドロ・ホドロフスキー(93歳)だ。

ピエル・パオロ・パゾリーニにも通ずる多才さを持ち、未だ衰えず、映画を通して人々の心を癒し続けるアレハンドロ・ホドロフスキーを紹介する。


【プロフィール】

アレハンドロ・ホドロフスキー(Alexandro Jodorowsky Prullansky, 1929年2月17日 -)
チリの映画監督、演出家、詩人、俳優、作家、漫画家(バンド・デシネ作家)、タロット占い師。

抑圧から自由な世界へ

1929年、チリのトコピリャでユダヤ系ウクライナ人の両親のもとに生まれる。父・ハイメは共産主義者だったが、商店を営んでいた。父権的なハイメは妻のサラを抑圧し、アレハンドロ自身も幼少期に父からの虐待を受け、抑圧的な日々を過ごした。9歳になり、サンティアゴに引っ越し、詩作を始め、ニカノール パラステラ ディアス ヴァリンエンリケ リンなどの詩人に出会う。大学で心理学と哲学を学ぶ。大学中退の後、サーカスのピエロとして働き、舞台演出も務める。1947年に自分の劇団テアトロミミコを立ち上げる。同年、パリに引っ越す。マルセル・マルソーの劇団に参加し、世界ツアーに参加。

カルト的人気作家から不遇の時代へ

1957年に『LA CRAVATE La cravate』を監督・主演し、ジャン・コクトーに称賛される。1960年、メキシコシティに引っ越す。1962年、パリでシュールレアリスムの超越を目指したパフォーマンス集団パニック・ムーブメントを結成。1966年、最初の漫画『アニバル5 』を制作。1967年、『ファンドとリス』を制作、メキシコ政府に無許可で撮影された本作は、その内容からアカプルコ映画祭で暴動を引き起こし、メキシコでの上映を禁止された。メキシコシティで出会った禅僧・高田恵城に影響され、禅を広め始める。1969年、『エル・トポ』を監督し、1970年、ニューヨークで公開され話題を呼ぶ。その才能を高く評価したジョン・レノンは会社の社長アレン・クラインに掛け合い、次作のために100万ドルを出資させた。1973年、その資金で『ホーリー・マウンテン』を監督。アレン・クラインから女性マゾヒズム小説「Oの物語」の映画化を依頼されるも、『ホーリー・マウンテン』製作中にフェミニズムを認識したホドロフスキーは依頼を断る。アレン・クラインは報復として、『エル・トポ』と『ホーリー・マウンテン』の公開を30年以上にわたり禁止した。

超大作SFの頓挫を乗り越え、復活

1974年、フランク・ハーバートの傑作SF小説『デューン砂の惑星』の映画化を依頼されるが頓挫する(詳細は後述の『ホドロフスキーのDUNE』にて)。1980年、『Tusk』を監督。1981年、コミックス『インカル』(原作:アレハンドロ・ホドロフスキー、作画:メビウス)を発表。1989年、『サンタ・サングレ/聖なる血』翌年『ホドロフスキーの虹泥棒』を監督。1995年、『サイコマジック』を執筆。『エル・トポ』の続編『アベル カイン』(前題『エル・トポ の息子たち』)を計画するも実現に至っていない。2001年、自伝『リアリティのダンス』を発表。2004年に『エル・トポ』と『ホーリー・マウンテン』の所有権紛争が終結し、2007年かにDVD、サウンドトラックなどが販売される。2011年、『リアリティのダンス』を監督。2016年、続編となる『エンドレス・ポエトリー』を監督。2019年、自身が考案した心理療法サイコマジックを扱ったドキュメンタリー『ホドロフスキーのサイコマジック』を監督。『エンドレス・ポエトリー』の続編となる『エッセンシャル・トリップ』や『アベル カイン』などの企画が進行中。


【フィルモグラフィー】

LA CRAVATE La cravate (1957年) 短編
ファンドとリス Fando y Lis (1967年) 兼出演
エル・トポ El Topo (1969年) 兼脚本・音楽・出演
ホーリー・マウンテン The Holy Mountain (1973年) 兼脚本・音楽・出演
Tusk (1980年)
サンタ・サングレ/聖なる血 Santa Sangre (1989年) 兼脚本
ホドロフスキーの虹泥棒 The Rainbow Thief (1990年)
リアリティのダンス La danza de la realidad (2013年) 兼原作・脚本・製作・出演
エンドレス・ポエトリー Poesía Sin Fin (2016年)兼原作・脚本
ホドロフスキーのサイコマジック Psychomagie, un art pour guérir (2019年) 兼脚本・出演


【作品の印象】

・映画は精神を解放するための預言書

ホドロフスキーの作品には「精神の解放」という通底するテーマがある。心理学と哲学を学んだホドロフスキーならではの手法で映画を作り続けている。『エル・トポ』は彼をカルト作家として、人々に認知させた。突然変異的に出現した才能は一過性のブームで終わるものではなく、50年経った今でも多くの人々を魅了する力を秘めている。それは彼の強烈な作家性によって、担保されている。ホドロフスキーの映画世界には束縛され、自由を奪われた人間が溢れている。『リアリティのダンス』で描かれるように、彼自身が父に抑圧されており、それが現実だった。一方で自我を捨て、精神が解放されることで見える希望も提示する。

・あらゆるものが肯定される世界

ホドロフスキーの作品には膨大な数の人間、動物、モニュメントが登場する。人種、形態に縛られず、どんな存在も当然に存在するべきだと宣言しているようにも思える。そして、それら全てが、「あなたを縛るものは何か」と問いかけてくる。その圧倒的物量の問いかけにより、疑り深い観客も観念してホドロフスキーの世界に入っていってしまう。そうして彼の世界を受け入れ始めた観客は「辛い体験は逆説的に解放に向かう糧になる」と悟っていく。こうして生きることを肯定することを狙ってホドロフスキーの作品は作られている。


【おすすめ作品5選】※作品紹介はネタバレを含みます。

①『エル・トポ』(1970年/メキシコ/123分)

ホドロフスキーによる解脱入門西部劇

荒野をさすらう子連れのガンマン、エル・トポ。7歳になった息子はエル・トポの指示で、母親の写真とおもちゃを砂に埋め、決別させられる。父の教えを受けながら荒らされた村の惨状を体験する息子。盗賊に襲われるも全員返り討ちにし、囚われの女を救い出した。女は息子との旅を拒否し、エル・トポは女との旅を選び、息子を置いていく。一番強い男になることを求めた女は荒野に住む4人の強者を殺すことをせがむ。1人目の男を倒し、道案内の女が加わった。強者を倒しながら、死生観を学んでいくエル・トポだったが、4人目の強者を倒したところで、女同士が恋に落ちていたことを知る。女に捨てられた彼は道案内の女との決闘の末、敗北する。エル・トポが目を覚ますと洞窟に住む形態異常者たちに崇められる存在になっていた。彼らを洞窟の外に出すため、エル・トポはトンネルを掘ることを決める。目覚めるまで世話をしてくれた女と共に街に出稼ぎに行くエル・トポ。街では人身売買や快楽殺人が横行していた。偶然にも宗教家として成長した息子と出会うが、過去に捨てられた恨みから父を殺そうとする。エル・トポはトンネルが出来たら殺してもいいと条件をつけ、3人で金を稼ぎ、トンネルを掘りすすめた。ようやくトンネルが開通すると、息子は人生の師である父を殺すことをやめる。洞窟の住人達は外の世界へ駆け出すが、街の人間たちの銃撃に遭い、全員殺されてしまう。後から駆けつけたエル・トポも銃撃されるが、どの銃弾も彼を殺すことは出来なかった。街の人間を全員殺したエル・トポは自らの肉体を焼き、煙となって消えた。

ミッドナイト・ムービーの先駆けとしてカルト的な人気を誇る『エル・トポ』はデヴィッド・リンチやニコラス・ウィンディング・ レフンなどの映画作家に愛されている。

映画史上、多くの西部劇が作られたが、その中でも『エル・トポ』は異作中の異作だ。この作品はホドロフスキーならではのスピリチュアルな死生観によって支えられている。

エル・トポは精神的にマッチョで、ゲームのように殺しを楽しむガンマンだったが、女に捨てられたことを契機に他人のために地道に金を稼ぐ芸人として生まれ変わる。浮世離れした荒野の強者たちが彼に与えた影響も大きい。無欲、無私、慈しみ、自己犠牲を知り、殺すことが如何に無意味な行為かを知る。その結果、彼は闘いを放棄し、女に殺されるが、神のような存在として生まれ変わる。

命を賭けた殺し合いの中で、殺し合いの無意味さを知り、転生後の世界を描く。この構造自体が既存の西部劇へのカウンターになっていて、「殺し合いより、助け合い。ガンマンより聖人だろ」と次の時代へ思考を向けている。我が道を行くホドロフスキーという作家ならではの衝撃作。

【CAST&STAFF】
監督・脚本・音楽:アレハンドロ・ホドロフスキー
製作:アラン・クライン
出演者:アレハンドロ・ホドロフスキー、ブロンティス・ホドロフスキー
撮影:ラファエル・コルキディ

【注意描写】
裸体(子ども、女性)、銃殺、死体(動物、人間) 、内臓、出血、自殺、SEX、性器


②『ホーリー・マウンテン』(1973年/アメリカ、メキシコ/114分)

精神を解放せよ!

行き倒れていた若者はキリストの如く、磔にされ、子供たちからの投石を食らう。形態異常の男と友達になり街へ出稼ぎに行く。街では虐殺と残虐な見世物で溢れ、若者はその風貌からか、キリストのように十字架を運び、泥酔している間に型をとられ、無数の模型が作られ、発狂する。無秩序な街ではキリストを信じる者など居ないように思われたが、チンパンジーを連れた女性が若者に興味を持つ。街に聳え立つ謎の塔に入ると白衣の男と従者が待っていた。若者は白衣の男から洗礼を受け、大便を黄金に変える術を見せられ、驚愕する。若者は黒衣の男に導かれ、太陽系の惑星を司る7人の富豪の日常を追体験する。そこでは美、芸術、兵器、財政、暴力、快適さ、権力などの生産活動でそれぞれが莫大な利益を生み出している。しかし、どれだけの富を持っていようと死は避けられないと黒衣の男が教える。富豪たちと若者は富を捨て、不死の術を手に入れるため伝説の山”ホーリー・マウンテン”へ向かう。旅の中で自らの肉体や思考すら捨て去ることを厭わなくなった。ホーリー・マウンテンの麓にあるパンテオン・バーには登頂を諦めた人間たちがいんちきな魔術で得られる生活に満足していた。見せかけの満足に囚われず、山頂を目指す一行。恐怖や欲求を払いのけ、頂上まであと一歩に迫る。若者は彼を追って、チンパンジーとともに旅をしてきた女と共に街へと戻り、黒衣の男に変わり、民衆を導く役目を受ける。頂上で8人の従者たちは待っていたのは黒衣の師であり、この旅を通して、より人間らしく生きる術を見つけたことを伝える。さらにこの世界は映画の世界であり、現実の世界で生きていかなければいけないことを伝え、一行はスクリーンを背にして去っていくのだった。

『エル・トポ』で一躍注目の監督となったホドロフスキーがその世界観をより具体的なエピソードをもって、発信している。『エル・トポ』同様、一人の人間が私利私欲を捨て、人々を導く存在になるまでを描いており、ホドロフスキーが一発屋ではなく、「映画による精神の解放」をテーマに作品を作り続ける作家性を持った監督だということが確信に変わる1作。

全てのカットが膨大な情報量で構成されており、意味を考え出すとキリがない。気を張り過ぎずに目の前で起きていることを素直に楽しみ始めることがホドロフスキーの映画を見るのに丁度いい姿勢なのかもしれない。そのうち、「こいつは欲張りなやつだ」とか「こいつには共感出来る」というシーンが出てくる。『エル・トポ』以上に用意されたフックに釣られて、作品にのめり込んでいくうちに自分の欲深さに気づいてくる。そうして映画を楽しみ始めたところで、映画は終わりだと告げられ、観客は現実世界に戻される。近年では『レディ・プレイヤー・ワン』『ソウルフル・ワールド』など、ゲームなり、映画なり魅力的な世界は結局は妄想の世界で、「現実を生きろ!」と突き放される作品が印象に残る。『ホーリー・マウンテン』はそういった映画の先駆けであると同時に、「映画で学んだ精神を現実世界で広めろ!」と直接脳内に語り掛けてくる”洗脳映画”とさえ言えるかもしれない。

【CAST&STAFF】
監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー
原作:『類推の山』(ルネ・ドーマル)
製作:アレハンドロ・ホドロフスキー、ロベルト・ヴィスキン
出演者:アレハンドロ・ホドロフスキ-、ホラシオ・サリナス、ラモナ・サンダース
音楽:ドン・シェリー、ロナルド・フランジパネ、アレハンドロ・ホドロフスキー
撮影:ラファエル・コルキディ

【注意描写】
裸体(子ども、男女)、糞尿、流血、銃殺、出血、眼球、死体(動物、人間)、SEX、性器


③『ホドロフスキーのDUNE』(2013年/アメリカ/90分)

“きっと何かを作りたくなる”クリエイターに向けたホドロフスキー説法

ホドロフスキーが映画化を熱望したフランク・ハーバートの傑作小説『デューン砂の惑星』。ホドロフスキーが目指したのは「魂を昇華させるための神聖な芸術」で預言書となる映画を作ろうとしていた。『デューン』はホドロフスキーが語る大志に合致した作品であるとともに、確実にSF映画の歴史を覆してしまう企画だった。共に映画を制作する”魂の戦士”には、漫画家メビウス、『ダークスター』の特殊効果を務めたダン・オバノンサルバドール・ダリオーソン・ウェルズミック・ジャガーデビッド・キャラダインなどの豪華キャスト。音楽はピンク・フロイドマグマ。スタントコーディネーターにジャン=ピエール・ヴィニョー。宇宙船デザインをクリス・フォス。ハルコンネン城などのデザインをH・R・ギーガー。夢のような布陣で作られる映画は20時間の長尺で1500万ドルの予算が必要だった。ホドロフスキーとプロデューサーのミシェル・セドゥーは極厚な絵コンテを作成し、ハリウッドのメジャー会社に出資を募るが、どこも相手にはしてくれなかった。映画史に残ることが確実とされた作品が未完に終わった原因はハリウッドの映画会社がホドロフスキーを恐れたことに他ならなかった。彼らは神聖な芸術としての映画を拒絶し、ビジネスとしての映画を選んだのだ。『デューン』での挫折はホドロフスキーの監督人生に長いブランクをもたらしたが、彼は悲観せず挑戦することの重要性を語る。そして、彼が映画会社に渡した絵コンテは『スターウォーズ』を始めとする多くの名作に、インスピレーションを与え、ホドロフスキーの『デューン』のスタッフの多くが参加し『エイリアン』という傑作を遺した。ホドロフスキーの精神が多くの映画に伝播していったのだ。

映画は「商品」なのか「アート」なのか。巨額の資金が必要な以上、「商品」の側面を捨てきれないのは仕方がないことだが、稀にその両面を獲得している傑作が存在する。それが『2001年 宇宙の旅』だ。来るべき未来を観客に想像させるリアリティを獲得し、キューブリックの完璧主義が極限の域に達した言わずと知れたSFの傑作。そして、その『2001年 宇宙の旅』を越える可能性を秘めているのがホドロフスキーの『DUNE』だった。『デューン砂の惑星』は二度映画化(TVシリーズでも一度映像化)されている。ホドロフスキーが嬉々としてその駄作っぷりを語っていた、デヴィッド・リンチ版『デューン/砂の惑星』(1984年/アメリカ/137分)。そしてドゥニ・ヴィルヌーヴ版『DUNE/デューン 砂の惑星』(2021年/アメリカ/155分)だ。前者は「商品」「アート」の両面で失敗しており、後者については「商品」としては及第点だが、「アート」としての評価は難しい。ホドロフスキーとは方向性が全く違うので、比較してもしょうがないところではあるが、ヴィルヌーヴの持ち味である重苦しい雰囲気のサスペンス要素が際立っているが、突き抜けて伝わってくるものがあるかと言われると答えに窮する。

『ホドロフスキーのDUNE』を見てしまったがゆえに、他の『DUNE』を受け入れられなくなってしまったということなのかもしれない。ホドロフスキーに『DUNE』を作らせる気概を持った映画会社が存在する世界線で生きたかった。

【CAST&STAFF】
監督:フランク・パヴィッチ
製作:フランク・パヴィッチ、スティーヴン・スカルラータ
製作総指揮:ドナルド・ローゼンフェルド
出演者:アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H・R・ギーガー、クリス・フォス、ブロンティス・ホドロフスキー、ニコラス・ウィンディング・レフン

④『エンドレス・ポエトリー』(2016年/チリ、フランス/128分)

ホドロフスキーが詩人として目覚めた青年期の物語

故郷のトコピージャを離れ、サンティアゴへ引っ越したホドロフスキー一家。ホドロフスキー少年は父ハイメから医者になることを強要されるが、詩を愛するようになっていた。そんな彼を批判する親戚一同に反抗し、一族が大切にしている木を切り倒そうとする。彼の行動に感銘を覚えた親戚のリカルドに連れられ、芸術を愛するセレセダ姉妹の家へ向かうホドロフスキー。リカルドはホドロフスキーのことを愛していたが、その恋は実らなかった。それと同時にホドロフスキーは「詩を書いているとオカマになる」という父の妄言から解放され、詩作に没頭するようになる。青年になったホドロフスキーは酒場で豪快な立ち居振る舞いをしていた詩人のステラに恋をする。意気投合した翌日、ステラは男を連れて、酒場を訪れる。怒りを抑えられないホドロフスキーだったが、その男は彼の敬愛する詩人ニカノール・パラであり、パラはステラをホドロフスキーに託すのだった。ステラは自らの手に「A」の文字を切り込み、愛を誓い、二人は交わる。親の金を盗み、二人の時間を楽しんでいたホドロフスキーだったが、ある日、大学の前で首つりしているリカルドを見つける。リカルドは建築家として生きるよう親に強要された末に死んだことを悟ったホドロフスキーはステラに縛られて自分を見失っていることに気づく。少しの間ステラと離れ、40日後に2人は再開するが、ステラは子供を身ごもっていた。ホドロフスキーは彼女が置いていった髪を燃やし、詩作を再開する。ホドロフスキーは詩と並行して人形を制作しており、ルスという女性がこの人形を気に入る。ルスの恋人で芸術家のアンドレも人形を気に入り、ホドロフスキーに彼のアトリエを託した。このアトリエは芸術家たちの発表の場であり、癒しの場となっていった。そこで出会った詩人のエンリケ・リンと意気投合し、2人で詩人の道を突き進む。未来のホドロフスキーは「詩人として生きたことに後悔はない。他人の期待通りに生きることは罪だ。人はただ生きるだけだ」と語る。一方、酒に溺れ、小人症の恋人を捨てたエンリケ。ホドロフスキーは自殺を図る恋人に生きることの素晴らしさを説き、命を救うが、ふさぎ込むエンリケを救い出せていないことを後悔していた。そんな中、かつて父と同じサーカス団に所属していた道化師のニンジンと出会い、道化師として活動し始めるホドロフスキー。人を笑わせることで不安を吹き飛ばした彼は、苦しむことを止め、詩人としての人生を再開する。ついにエンリケを苦しみから救い出したホドロフスキーだったが、実家が火事で焼失したことを両親から告げられる。ただ、彼にとっては過去の自分からの解放のきっかけとなる喜ばしいことだった。春が訪れ、カーニバルを楽しむホドロフスキーだったが、ふと万物はいつか死に、忘却される運命にあることが嘆かわしく思えてしまった。未来のホドロフスキーは「忘却を恐れることはない。老いることで自分の人生を取り戻し、完全な光になる。」と語る。イバニェス政権の独裁体制が敷かれるチリを離れ、パリでシュールレアリスムを学ぶことを決めるホドロフスキー。父ハイメは彼を引き留めにやってくるが、父の考えを最後まで理解することは出来なかった。未来のホドロフスキーは「これが父との最後になる。父は何もあたえないことですべてを与えてくれた。父を認めるのだ」と語る。そして、ホドロフスキーはパリへ旅立つのだった。

『リアリティのダンス』に始まるホドロフスキーの自伝映画の第二弾。自らの意志で抑圧的な家庭環境から解放され、刺激的な出会いを通して、芸術に目覚めていくホドロフスキーを見ていると生きる気力が湧いてくる。80代になって、客観的に人生のターニングポイントを見つめなおし、映画に昇華することが出来ることに憧れすら覚えてしまう。

今でこそ、芸術の枠に収まらず、どのカテゴリーにも属さない「アレハンドロ・ホドロフスキー」という人格を確立しているホドロフスキーだが、「自分は自分の人生を生きることが出来ているのか。」そう自問自答する日々が彼にもあったことに救われる。父権的な父親、その父親に虐げられ続けた過去の自分、愛すべき恋人、芸術を愛した人々、それらすべての人から解放されて、パリに行く道を選ぶホドロフスキー。人生は選択の連続だが、ホドロフスキーは常に挑戦的で自分が進むべき道を進んでいる。何よりも、その自分に後悔していないと言い切る力強さに憧れる。

死にたくなったらこの映画を見て、ホドロフスキーの言葉を聞いてほしい。「生きろ!」。

【CAST&STAFF】
監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー
製作:グザヴィエ・ゲレーロ・ヤマモト
出演者:ブロンティス・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー、パメラ・フローレス、レアンドロ・タウブ
音楽:アダン・ホドロフスキー
撮影:クリストファー・ドイル

【注意描写】
内臓、銃殺、裸体(女性、男性)、出血、性器、首つり

⑤『ホドロフスキーのサイコマジック』(2019年/フランス/104分)

何も恐れることはない。サイコマジックがあるから。

心理学、哲学を学ぶホドロフスキーが考案した心理療法「サイコマジック」。人々の無意識に語りかけるため、恐怖の根源を疑似体験させる。この体験を通して、恐怖と向き合い、解放されていく人々を描いたドキュメンタリー。あらゆる創作活動を通して、ホドロフスキーが辿り着いた人々を解放させる神技を見届けよう。

人類は数々の病を克服してきた。私たちを悩ませてきたコロナウイルスも医学の力により克服されようとしている。しかし、精神の病を癒すことは未だに難しいのではないだろうか。人それぞれ異なるバックボーンを持っていて、悩みの原因も人それぞれだ。これを解決するためには深くその人間を知ったうえで対処していく必要がある。ホドロフスキーは最適な対処法を知っているかのように、次々と人々を癒していく。術後、インタビューに答える患者たちの表情は晴れやかで、ヤラセを疑ってしまうほどの回復ぶりだ。

妙に納得出来る対処法で人々は恐怖と向き合っていく。特に印象に残っているエピソードは結婚式の前日に婚約者を自殺で亡くした女性の治療だ。彼女はスカイダイバーだった夫を飛び降り自殺で亡くしており、飛び降りる直前にはいつもと変わらず「愛している」と告げられたそうだ。理解が及ばない夫の行動に悩み続けていたが、サイコマジックで夫の死を肯定することが出来た。どういう心境の変化があったのかはわからないが、苦しんではいないことは伺える。

これまでの作品を見て、ホドロフスキーが圧倒的に豊富な人生経験を持っていることはわかっている。これだけの経験を積んでいれば、どんな悩みでも解決出来るんだろうと思ってしまう。それこそがホドロフスキーの布教戦略なのか?だとすれば彼が長生きすればするほど、人々は解放されていくのでは?よし、深く考えるのはやめて、ホドロフスキーが300歳まで生きることを願おう。そして生き詰ったら解放してもらおう。

【CAST&STAFF】
監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー
出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、アルチュール・アッシュ

【関連書籍】

コメント

タイトルとURLをコピーしました